リアル告白【帰国子女】困った事・大変だった事

孫育て

帰国子女の孫たちは、帰国後日本の公立小学校に通学しています。
3か月経った今、ようやく日常のペースが掴めて物事がスムーズに行くようになりましたが、ここに来るまでにはいろんな困難がありました。

そこで、どんな点が大変だったかを我が家のケースでお伝えしようと思います。
プロフィール シングルファーザー 3人の孫育て

アメリカで4年過ごした後の帰国

帰国時点で小学4年生の男の子と2年生の女の子でした。

アメリカでは現地の学校(英語と日本語の小学校)へ月曜日~金曜日の週5回と、日本語学校に補習校として週に1回土曜日通学していました。

アメリカと日本では学校のシステムが違います。

上の子も下の子も、入学式からアメリカだったので日本の学校にまともに通うのは初めてで(帰国時に日本の小学校への短期間の体験入学の経験はあり)戸惑いの連続でした。

通学について

まずは通学です。日本の通学は通学団で集まって列を作って歩きますが、アメリカでは親の送り迎えか通学バスが基本でした。子供だけで歩くという事がまずありません。防犯上の理由です。

我が家から学校までは歩いて30分かかります。慣れない道と慣れない小学生たちに囲まれて、普段は歩いたことも無いような長距離を、重たいランドセルを背負って行くわけです。

4年生の孫は男の子なので頑張っていましたが、2年生の女の子はもう嫌で嫌で毎日泣いていました。何度も学校まで付いて一緒に歩き、泣いて嫌がる孫を置いて学校を出るときには、こちらまで何とも言えない辛い気持ちになりました。

第一関門は通学スタイルでした。

勉強の遅れについて

日本国内の転校でも、授業の進み具合のずれによる勉強の遅れはつきものです。転校したとたんに勉強がわけわからなくなってしまってブルーになったりするものです。

アメリカで日本語学校の補習校に行っていたとはいえ、週に1度だったので当然授業はわからない事だらけです。

特に「漢字」です。これは本当に遅れています。もちろんアメリカに住んでいても両親が熱心で事細かく教えてあげていればかなり良かったんだろうと思いますが、プロフィールにも少し書きましたが母親はそれができない人でした。なのでほぼ学校任せだったようです。

日本の小学校の担任の先生は、帰国子女という事をしっかり受け入れてくれていて、ある程度余裕を持って見守ってくれています。それでも期日までに宿題を提出しなければならず、上の子も泣きながらやっていました。
下の2年生の孫は「私、1年生ぐらいの漢字しかわからない。でも悔しいからがんばる!」と言って諦めていません。

子供の性格にもよりますが、嫌になっちゃう子と奮起する子のタイプがあるようですね。

4年生の孫は算数が得意なのですが、なにせ文章が読めないと問題を理解できないので、国語は大事だなと思います。

給食が苦手

給食は好き嫌いの多い子にとっては地獄ですよね。

うちもまさにそのパターンです。2年生の孫は給食が時間内に食べられないから嫌という理由で朝泣いてしまう事も多かったです。

アメリカではお弁当だったので好きな物だけ詰めてもらえばいいし、残しても誰も文句は言いません。給食はそうはいきませんが、ある程度量の加減はしてもらえます。担任の先生とも連絡を取ってお願いもしました。

そんな給食ですが、食べれたときは嬉しいみたいで、「今日全部食べれたよ!」と1番に報告してくれたりします。

掃除などの当番にビックリ

アメリカでは教室や校舎の掃除を子供がすることはありません。

日本では給食当番とか掃除当番などいろいろ係がありますよね。そういうのに驚いたそうです。極寒の日に下駄箱掃除をやって手が千切れそうに寒かったと言っていました。でも皆がやっているので自分もやるんだっていう感じで頑張っているようです。

3か月経った今の感想

最初は朝起きる事から大変で、準備も時間がかかりました。

帰ってくれば、ランドセルは放ったらかし、宿題はやりたくないからどんどん後回しして、最後にはやれなくて泣いてしまうという日々でした。

でも今は朝もきちんと準備をして朝ごはんもしっかり食べて、元気よく通学します。帰ってくればランドセルを定位置に置き、宿題があれば自発的にやるようにもなりました。

段階を踏んで習い事も始めました。

そう思うと、子供の方が順応性があるんだなと思います。

何かあれば学校の先生に尋ねたり伝えたりして、保護者としても不安を取り除いていったことが子供たちの安心にもつながっていると思います。

あんなに嫌がっていたのに「学校楽しいよ。」という言葉を聞くとホッとします。

遅れがあるのはどうしても仕方のない事で、4年生に関してはあと二年間で穴埋めできるかどうかっていうところです。でも、親の離婚、帰国、新しい環境、と生活が一変してしまったので、今は日本の生活を無理なく送れるようにすることが最優先だと思っています。

祖母としてはとにかく焦らない事、子供の気持ちをよく考える事、を基本に頑張ろうと思います。

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